凡人はログを残さねばならんのである、ログを

2012年 8月 20日


自分が死んだら、自分が死んだらどうなるのだろう?

ルーマニアの首都ブカレスト郊外で、20歳の日本人女性が殺害されているのが見つかった。所持品などから都内の大学に通うマスノ・ユリカさんとみられ、所属する国際学生団体の活動で15日にブカレストに到着したが、その後連絡が取れなくなった。マスノさんのものとみられるフェイスブックによると、マスノさんは兵庫県宝塚市出身。(途中省略)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG19024_Z10C12A8CR8000/

「レイプされたからこれはひどい事件」だとか、「本人は死んでいるのにTwitterやFacebookが残っている (本人が亡くなってTwitterやFacebookのログが残されてしまうのはどうしようもないことで、当初は公開されていたログも、いまでは(遺族の手によって?)非公開処理がなされている)かわいそう」とかネット上では様々な意見がある。 「ルーマニアには行かないようにしよう」、「海外旅行はキケン」そんな意見も結構、結構。
散々取り上げられているこのネタも、数年すればほとんどの人の記憶から間違いなく消える。

語弊がある言い方をする。
事件性とか死に方とかはこの際、ぼくらにとってどうでもよいのだ。

自分が死んでもたぶんどうにもならない。何も世界は変わらない。
だからこそログを残さねばならない。消してはいけない。自分の生きた証を。本を。


2012年 8月 20日 by ニタサカアツシ
Categories: エッセイ

 

 

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